講師紹介

初めまして。

 

講師の竹下杏奈と申します。

ムジカント音楽塾のウェブページに来てくださりありがとうございます。

 

早速ですが、講師として自己紹介をさせていただきます。

 

☆楽しかった子供時代

私がピアノに出会ったのは4歳の夏でした。ある日ピアノが現れたのです。

 

母は私に「ピアノを習いたいか」聞いたそうです。

私の答えはこどもらしくイエス!

 

ピアノは初めての習い事。嬉しかった私は、朝起きては弾き、保育園から帰っては弾き、とピアノが楽しかったのを覚えています。

 

初めて発表会に参加した5歳の年、先生の演奏する様子を見て感激し、自分もピアノの先生になるのだと夢見るようになりました。

 

小学生になってからは遊ぶことに忙しく、ピアノの練習はあまり熱心ではなかったのを覚えています。

でも「習っている以上は毎日弾く!」ことを大切に、いえ、もはや信念にしていた母の根気強い声掛け(時に怖い!)のおかげでピアノを続けられました。

中学に入って地元のコンクールで入賞できたことなどもあり、私の夢はどんどん膨らんでいきました。

 

☆変化と異変

高校は音楽科のある高校へ進学しました。音楽が中心の授業、東京から来てくださる先生と大分の先生の猛特訓を受けられるという幸せな環境でしたが、今思えばこの頃から自分に限界を感じていた気がします。

 

このままで良いのか悩んだ末、その年合格していた音大に行かず、いろんなことが勉強できる学校へ行くことにしました。

その中で、ピアノができる大学、自分が好きな学校を選ぶことにしました。

 

☆スランプ

大学で、私が抱えていた問題は大爆発。

同時期に「なんだか私と西洋音楽本場の人達の演奏方法に違いがあるぞ。」ということにも気づきました。

 

「悩みの解決策は外国にあるかもしれない。ピアノの演奏の歴史は西洋文化圏の人達の方が長いんだもの。」

私は留学を決めました。

 

☆決意と失望

2004年秋、私はスロバキアへ渡りました。

 

初期の頃は先生とのご縁がなく、すぐ行き詰まってしまいましたが、私は諦めきれませんでした。

そんな時、悶々とする私を救ってくれたのはスロバキアの母タチアナさんでしたでした。

 

私は彼女の家に下宿しており、彼女は私のことを本当の娘のように大切にしてくれていました。

タチアナさんと周辺の人たちの大きな大きな助けのおかげで、私はある先生にたどりつきました。

 

☆希望と貧困、そして帰国

「そうねぇ、あなたの問題を解決するのは2年あれば大丈夫よ。」

その先生はそう言ってくれました。

 

私が嬉しかったのは言うまでもありません。

喜び勇んでその先生の元に通うことを決めた私でしたが、次の試練が待っていました。

 

お金が、ない!

私は留学資金を作るために、帰国を選びました。

絶対ここに戻ってくるぞ、と決めて。

 

☆乱気流に乗って

半年間、日本でたくさんの人達に助けられながら日曜日以外の週6日、22時間稼働で働きました。

貯めたお金を持ってヘトヘトになりながらスロバキアに再上陸した私でしたが、この時の努力は1つの自信になりました。

 

レッスンではピアノに触れるばかりでなく、普段の私の体の使い方にも注目するよう指導を受けました。これが、少しずつ改善の突破口になっていきます。

 

半年働いてばかりでピアノは弾けなかったけど、ひょっとしたらこれが良かったかもしれません。

少しずつ、少しずつ、私はどうすれば良いかわかってきました。

そして、やはり体の使い方が違うことも。

 

ところで時は2006年。スロバキアはEUへ加盟するため国をあげて経済的に豊かになろうと努力していた時代でした。1年分の生活費と思って持ってきたお金は半年でなくなりました。

 

ま、また日本で働かなくちゃいけない…もうあきらめて帰れということなのかな…。

少しずつ自分の抱えている問題も、スロバキアの先生のおかげで良くなってきているのに…。

 

悩む私を救ってくれたのはまたしてもタチアナさんでした。

なんと新聞に「日本語を使う仕事」の募集が掲載されていたのを見つけてくれたのです。

 

日本ですら社会人経験のなかった私は、スロバキアで初めて就職しました。

今思えば、とにかくここから2011年に帰国するまでは、ラッキーなことばかりでした。

 

☆チェコへ移り、大学院へ

就職して2年間は働きながらピアノに通いました。その間少しずつ思ったようにピアノが弾けるように技術が向上してきたことがわかるようになり、もっと良くなりたい、もっと知りたいと隣国オーストリアやドイツ、スイスなどの大学で数多くのレッスンを聴講しました。

そんな中、チェコ共和国の第2の都市ブルノのヤナーチェク音楽芸術大学が生涯学習の講座を開いていることを知り、通うことにしました。

 

ピアノのレッスンもあり、私も積極的に通いました。

スロバキアの先生が教えてくださったことと、自分が身につけてきたことは、ここで大いに生かされました。

 

1年間の講座が終わるころ、私はレッスンを担当してくださっていた先生に、

「私は、この学校が好きです。ピアノもあなたの元で続けたい。受験することを応援してくれませんか?」と、すごく勇気を出してお願いしました。

数年前のことがトラウマになっていたので、「もう吐くかも」と思うほどの緊張でしたが、先生は「いいわよ。一緒に頑張りましょう!」と力強く言ってくださったのでした。

 

こうして夏に受験、合格し、私は5年住んだスロバキアを離れチェコへ移りました。

 

☆目的を果たし、帰国

2年間の大学院生活を無事修了し、ヨーロッパでの生活を満喫しすぎてもはや疲れていた私は、チェコにもスロバキアにも残る気持ちはなく、タチアナさんと好きな時に会えなくなるのだけが寂しかったものの、「日本へ帰国して仕事するぞ!」という気持ちの方が強く、大分に帰ってきました。

 

⭐︎現在

その後はリサイタルをしたり、お友達と演奏会をしたり、母校へピアノ講師として勤めたり、演奏員の仕事をしながらピアノを教えてきました。

レッスンのほとんどは口コミで来てくださった生徒さんとともに行ってきたので、私の塾をしらない方ばかりかと思います。

私の想いはムジカント音楽塾の方針の項目でお話しているので、よろしければそちらにもお立ち寄りくだされば幸いです。

 

私が抱えたテクニックの問題は、今でも多くの人が苦しむ課題の1つです。また、体の使い方も私達と欧米の人たちは違います。

表現力の幅や、音色の種類や、何を良しとして好むのかも、私たち日本人の感覚とは全く違います。

レッスンでは私が身をもって経験したことの全てを、惜しみなくお伝えします。

 

そして、ピアノが弾けるようになることと同じくらい私が大切にしているのは、

子どもたちの「主体性」です。

自分で考え、自分で決めて、自分で行動する、

子どもたちの心の幸せを作るのは「主体性」です。

 

「主体性」どう育まれていくのか。

ここには親御さんの協力も必要となりますので、詳しくは体験レッスンでお話しようと思っています。

 

私のピアノ塾の生徒さんたちはみんな、引っ込み思案な子も少しずつお話できるようになり、積極的な子はさらに自分の気持ちや考えを言えるようになり、私の質問にも、しっかりと考えを伝えてくれるようになっています。

 

これは子どもたちの「主体性」が育ってこそできることです。

「自分はこう思う」「私はこんな風に行動する」

それを1つ1つ叶えることが子どもたちの心の幸せを確実に育んでいきます。

 

ムジカント音楽塾はピアノが弾けるようになるのはもちろんのこと、心の幸せが育まれるピアノ教室でもあります。


竹下 杏奈(たけした あんな)
同志社女子大学学芸学部音楽学科卒業。卒業後スロバキアへ渡る。ブラチスラヴァ市立音楽院を経てチェコへ移り、国立ヤナーチェク音楽芸術アカデミーピアノ演奏修士課程修了。
加藤京子、故中島利惠、故高良芳枝、辻元澄子、エディタ・トッペルツェロヴァ―、アレナ・ヴラサーコヴァー、イジ―・ドレジェルの各氏に師事。
在欧中、各地の講習会やセミナーに参加し研鑽を積む。
第2回チェコ音楽の祭典、第24回大阪国際音楽コンクールなどに入賞、入選。
帰国後はソロリサイタル、アンサンブルで活動し、大分高等学校非常勤講師、大分県立芸術文化短期大学演奏員などを務める。
保育士資格所持。2024年現在、玉川大学教育学部通信課程に在籍し幼稚園免許取得のため勉強中。

 

ムジカントピアノ塾主宰。大分チェコ友好協会会員。日本・チェコ楽友協会楽友会員。ピティナ指導会員。